「夜と霧」に出会ったということ。

今日は何を書こうかなと考えていたら、「高校生の自分にすすめる本はなんですか?」というお題をちらりと見かけた。
高校生の自分にすすめる本、何かあったかなと考えたけど、高校生のときからおもしろそうな本はとりあえず読んでいたし、本に出会うタイミングというのは無理に動かす必要のないものだし、特に勧めたいと思うような本はないな、とすぐに結論が出てしまった。今読んでいるおもしろい本があるのと同じで、高校生のその時に読んだからこそおもしろい本だってあるはずだなぁとおもうのだ。

そこで発想を変えて、では「高校生のときに読んでよかったなと思う本」は何だろうかと考えたら、考える間もなく、パッと一冊の本が思い浮かんだ。

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

V.E. フランクルの「夜と霧」。

異常な環境下において、正常な人間であることはできない。
異常な環境下において、異常な人間になるのが、正常な人間である。


この通りの文章ではなかったと思うけれど、私の頭の中に刻み込まれていることばだ。私がこの本を読み通して、この本から受け取ったメッセージだ。
それ以外の内容も少しは覚えているけれど、ほとんど忘れている。

そう、そういえば、こんな記述があったのを思い出す。

アウシュビッツ強制収容所で、収容者たちが農作業をしていた。すると、筆者、あるいは筆者の近くにいた収容者が、作業の手を休めて少し休憩をしたそうだ。すると、それを遠くから見かけた監視官が、地面に転がっている石を拾い上げ、その石を無言でその収容者に向かって放り投げたという。

もはや怒鳴りすらしない。

もはや殴りもしない。

声を掛けることもない。

監視官は、もはや収容者を人間とは考えていなかったからだ。
監視官は収容者のことを、感情なくただ労働し続ける家畜、あるいはそれ以下の存在だと心の底から信じていたのかもしれない。

夜と霧は、確かに残酷で冷徹な部分を切り取った本でもあるけれど、確かにおもしろかった。暗いだけではない、何か光を見いだせる本だった。今も心の中に、どこか灯を宿す本だ。大切な本だ。

ホロコーストということばにであったのも、私が高校生のときだった。
世界史の授業でホロコーストについて学んだことで、なぜだか分からないけど、ユダヤ人が大量虐殺されたという歴史を辿ることに、私は夢中になった。

ホロコーストに、なんで関心があるの?とたまに聞かれるのだけれど、何でと聞かれても、気が付いたら関心を持っていたので、なんでなのかは分からない。
ただなんとなく、私が関心を持つものを探ってみると、人間が打ちひしがれる瞬間に、それを人間がどう乗り越えていくのかを、知りたいと思うことが多いのかもしれないなと思った。

暗いからといって、その暗闇に自ら歩を進めたりしないように。
でもその暗さを忘れないように。