守るため、楽しむために、アダルトコンテンツを考えよう。

「性の話は、わいせつではなく、たいせつなのです。」

この言葉は、杉本彩さんからの受け売りだ。確か、杉本彩さんが文筆家の牧村朝子さんに、お2人の対談の中で発した言葉で、その言葉を、牧村さんがオンライン記事で紹介していたのだ。それを私は一度読んだことがあった。

いい言葉だなと思った。本当にその通りだ。性の話は、わいせつなのではなくて、たいせつなのです。なぜこの言葉をふと思い出したかというと、ちょうど私がいま一番熱いと思っているテーマが「アダルトコンテンツ」だからだ。アダルトコンテンツというと、真っ先に「お下品ね」とか「猥褻だ」と言われそうなテーマ。そうだろうか。そんなこともないんじゃない、と私は思う。そして、何より、アダルトコンテンツについて掘り下げたい話がたくさんあるのだ。ということで、今日のテーマは、アダルトコンテンツについて。それでは、行ってみよう!

アダルトコンテンツとは、何なのか。

アダルトコンテンツとは、人々がもつ性的欲求を満たすために、つくられた娯楽のこと。映画、動画、アニメ、小説、漫画、芝居、ショー、空間、音楽、絵画…。様々な種類のものがあるだろう。そして、そういったアダルトコンテンツを実現するための職業もまた、たくさんある。例えば、AV女優・男優、風俗嬢、コールレディー、キャバクラ嬢、ストリッパー、などなど。
アダルトと官能性との境界線は、今の私には曖昧なものだ。境界線が見えないほどに微妙なラインであることもあるだろうし、その一方で、はっきりと境界線を張れる場合もある。


アダルトコンテンツは、どうして成人向けなのか。

性の話は、みんなのもの。

まず前提として、ほとんどの人は誰でも、女性であれ男性であれ、大人であれ子どもであれ、性に関心を寄せるようになる。アセクシャルの人のように、まったく関心を持たない人もいるけれど、大多数の人は、多かれ少なかれ関心を持つのではないだろうか。

「性欲はありますか?」という質問に対して、よく男性が「そりゃ、ありますよ。男ですから」と答えるのを見かけるのだが、私はこの答えが嫌いだ。なぜなら、この答えが、男性の持つ不必要に性欲を強調するのと同時に、実は、女性の性欲を封印しているように聞こえるから。「そりゃ、ありますよ。女ですから」という答えが、あたかも存在しないかのような、何かいびつな違和感。性欲の生理学的なメカニズムを正しく知っているわけではないので、よく分からないけれど、私が言いたいのは、「性に対する興味、関心、そして性欲と呼ばれるものは、誰しもが持ちえるものだ」ということ。そこを、まずは解放したい。ラジオって、なんだかテレビよりも放送コードが緩いようで、結構性の話をしている人が多い気がする。星野源さんや福山雅治さんなどは、ラジオではもう、セックスの話やら自慰のことやら、話したい放題だ。でも、やっぱりそういう話をできるのは、なぜか男性だけという暗黙のルールがある気がして、不思議だなと思ってしまう。女性が性について話し出した途端、「下品だ」「ありえない」という空気感が生まれているような気がする。そんなことないんじゃないかなぁ。私はそういう話、ぜひ女性から聞いてみたいですね。もっとオープンに話してもいいと、私は思ってます。

子どもを守るということ

さて、なぜアダルトコンテンツは成人向けなのか、という話。これには、きっといろいろな議論を経た、複雑な理由がある。考えられる理由の一つとしては、こどもをアダルトコンテンツから守るためだ。こどもとは誰のことなんだというと、私が思うに、まだ自分の行動に責任を持たない人たちのことを言う。自分の行動に責任を持っていないからこそ、こどもの親や保護者などを含めた周囲の大人たちが、子どもたちを守る必要がある。そして、大人が子どもを守るための行動として、「アダルトコンテンツを見せない」という行動をとるのは、ある程度理解ができる。なぜなら、アダルトコンテンツは、子どもたちに心的ダメージやストレスを与えることがあるからだ。

www.mhlw.go.jp


厚生労働省のHPによると、児童虐待のなかの性的虐待にあてはまるものは、主に「子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする」ことだそうだ。この中の「性的行為を見せる」というのが、ここでのポイント。つまり、第三者が性的行為を直接見せることだけではなく、性的行為を描写や映像を介してこどもに見せることも、おそらく性的虐待に含まれ得るのだと思う。アダルトコンテンツは娯楽であるため、実際の性的行為をそのまま反映しているとはいえないが、実際の性的行為に近い表現、準ずる表現として扱われるのは、理解ができる。性的行為に近い表現であるアダルトコンテンツを見せることが、子どもにとって性的虐待に近い行動になり得る、ということだ。ちなみに、アダルトコンテンツが子どもたちにショックや心的ストレスを与えるというのは私の憶測なので、科学的根拠があるわけではないのだが、その推測に基づくと、大人たちによる「子どもにアダルトコンテンツは見せない」という判断は、ひとつ合理的なものなのだろうと、私は思う。

性的虐待は、こどもを傷付けるので絶対に許されない犯罪である。だが、このあたりは難しい問題だ。自分から興味や関心を持って、性について調べる子どもたちもいるだろう。その子どもたちが、意図せずにストレスを受けたり、自分の心を傷付けてしまった場合、どうすればいいのだろう。誰がどういう風に、彼らを助けてあげられるのだろうか。性というのは繊細なテーマで、家族や友達と積極的に情報交換をするテーマではないことが多い。自分が性に関心があることを、親や友達に報告したり相談する子どもは、少数派なのではないかと思う。そのため、性に関する様々な関心や悩みなどを、ひとりで抱えている子どもも多いのではないかと思うのだ。特に、アダルトコンテンツをめぐる問題は、むずかしい。

18歳というタイミング

成人向け、とはどういうことなのかについても少し考えてみる。つまり、「大人と子どもの境界線とはどこなんだろう」という話。日本の場合、お酒とたばこは20歳から。投票は20歳からだったけれど、18歳からに引き下げられたので18歳から。普通自動車免許は18歳から。そして、義務教育を年齢通りに修了し、3年で高校を卒業した若者の多くが18歳だ。18歳という年齢は、高等教育までの教育をほぼ終了し、同時にいろいろな権利を獲得するようになる、ひとつの区切りの年なのだと思う。人は18歳になったことで、自身の行動に対する責任をある程度持っていると判断され、「もうこどもではない」とみなされる。こどもではない=大人なのかは、私にもよくわからないけれど、ある程度の責任や自立が求められ、同時に許されるのが、18歳という年齢なのだろう。そしてそのタイミングで、アダルトコンテンツが彼らに解禁される。これはなんだか、面白い。

性を謳歌するという自主性

ただ、私が思うに、問題はもう少し複雑だ。このあとにも出てくるけれど、アダルトコンテンツは多くの場合、どこかに「歪み」を抱えている。そして、その歪みは、私たちの考え方や思考回路にも少なからず影響を与えている気がする。その歪みに脅かされず、支配されることなく、性を自分のものとして謳歌するのは、実は至難の業だ。

私の意見としては、性に関する知識や情報は、子どものうちから習得しておいたほうがいい。そして、学校と家庭の両方が協力し合い、こどもたちへの確実な性教育を担うべきだと思う。これは本当に大事。セックスとは何なのか、どういうためのものなのか。そういうことをきちんと伝える必要があると思う。その根底の土台無しでは、アダルトコンテンツという娯楽を理解し、楽しむことはまずできないからだ。中学生や高校生など、こどものうちから、アダルトコンテンツに関心を持ち、実際に調べたり見てみたりするのは、全然構わない、むしろ良いことだと思う。なにか罪悪感や怖さを持つことなんて、全然ない。でも、娯楽に踊らされるのは、あまりにも虚しい。性教育を受けることで、性についてきちんと学習し、理解する。そのうえで、アダルトコンテンツという娯楽を、娯楽と理解して楽しむ自主性が、何よりもたいせつなのだ。それを、私は子どもたちに伝えたいなとおもう。

jamsponts.hatenablog.com

ちなみに、いま必要なあたらしい性教育について、こちらの記事で一通り書いているので、アダルトコンテンツについて考える前に、性教育について関心があるという人は、ぜひこちらも読んでみてください。

追記:アダルトコンテンツに対して罪悪感や怖さをおぼえる必要はないと書いたが、唯一インターネットを介してアダルトコンテンツを探す際には、ネット上の悪質な詐欺や、広告には注意してほしい。 なぜだか分からないのだが、インターネット上のアダルトコンテンツは、不必要にアダルト広告が表示されたり、詐欺に誘導しようとした悪質サイトであることが多いように思う。アダルトコンテンツが、時には違法アップロードされたものであることもあるため、安全性や信頼性の低いアダルトサイトが、インターネットのそこら中に存在していることが、理由の一つだと推測する。アダルトコンテンツがネット上に違法アップロードされることが多いのはそれはそれで問題なのだが、アダルトコンテンツ自体が悪質なわけではない。だから、インターネット上で何か調べたり見てみようと思ったら、まずは詐欺にあわないように注意をすること、怪しいサイトには入らないこと、下手に広告をクリックしないこと。まずは安全なサイトがあるかどうかをググってみること。そういった心構えを持つことを進めたい。


アダルトコンテンツは、誰のためのものなのか。


私がこの記事で強調したいテーマまで、ついにやってきた。アダルトコンテンツとは、一体誰のためのものなのか、という話。
この記事の一番最初で、アダルトコンテンツとは、「人々の性的欲求を満たすためのコンテンツ」であると定義した。しかし、私はその定義が、時として現実にまったく反映されていないと感じることがある。なんというか、アダルトコンテンツが、歪んでいると感じることがあるのだ。

アダルトコンテンツが歪んでいる。これをつぶさに説明するのは、少し難しい。
なにしろ、アダルトコンテンツのすべてを知り尽くしているわけではないし、私にも分からないことがほとんどだからだ。

例えば、アダルトビデオの話をしよう。アダルトビデオを販売している大手企業で、私がパッと思いついたのが、DMM。

www.dmm.com

様々なオンラインコンテンツを提供している企業だ。公式HPを見ると、一番下にDMM R.18というカテゴリーがあり、そこからDMMが提供しているアダルトコンテンツに飛ぶようになっている。「あなたは18歳以上ですか」という年齢確認も、そこで行われる。
DMMの中には、アニメや映画、動画など、いろいろなアダルトコンテンツが用意されているが、まず私が気が付く疑問点が、基本的にそれらがすべて「異性愛男性むけ」のコンテンツであるということだ。つまり、ここで提供されているコンテンツは、ほぼすべて、女性に対する性的欲求を満たしたい男性のためにつくられたコンテンツだということになる。その時点で、私はなんだか変だなと感じるのだ。本来、アダルトコンテンツとは「人々のもつ」性的欲求を満たすためのコンテンツであるにも関わらず、そこに反映されているのは、人々の中の、ごく一部の男性の性的欲求にすぎない。

そこに、男性に対する性的欲求を満たしたい女性が求めるであろう、コンテンツは見当たらない。あるいは、ゲイの男性が、あるいは、レズビアンの女性が求めているであろうコンテンツも、そこには存在しない。

これと似たようなことが、アダルトビデオだけではなく、雑誌や風俗サービスなど、アダルトコンテンツとカテゴリーされるあらゆるものにおいて、起こっているような気がする。性を謳歌するというひとつの娯楽が、一部の人間にしか解放されておらず、ほとんどの人にはいきわたっていない。アダルトコンテンツは本来、性別や年齢層関係なく、すべての人に解放されているはずなのに、実際は一部の人にしか開かれていない。
この事実、この、ある種の「歪み」に、私は強い関心がある。

アダルトコンテンツは、変わりつつある。


では、アダルトコンテンツは今も、歪みを抱えたままなのだろうか。いや、そんなことはないんだな。少しずつ、色々な方向から動きが進んでいる。せっかくなので、それも一緒に紹介したい。

まずこちら。

www.silklabo.com

SILK LABOというレーベル。こちらは、女性向けのアダルトビデオを制作しているAVレーベルだ。日本では、まだ数少ない事例だと思う。
個人的な感想を述べると、従来のAVと同様、男優と女優のやり取りによる作品がほとんどであり、バイセクシャルやレズビアン女性向けの作品があまりないことは、問題点だと思う。ただ、こういったレーベルが生まれ、様々なニーズを持った人たちの求める作品が誕生していくことは、たいせつなことだなと思う。

そして、こちらもついでに。

www.lovepiececlub.com

LOVE PIECE CLUBという会社は、女性向けのアダルトグッズを取り扱っている。アダルトコンテンツに、グッズのことも含めるとするならば、こちらの会社がやっていることも、とても面白いし、「アダルトコンテンツとはみんなのためのものだよ」というメッセージを伝えてくれている気もする。

あるいは、こういうものもある。

銀座しらゆりの会 銀座・新橋・汐留 レズビアン風俗

銀座しらゆりの会とは、レズビアン風俗を扱っている会社だ。年齢認証を経てこのHPに入ると、しらゆりの会に在籍している女性とのデートサービスや風俗サービスの申し込みができるようになっている。レズビアン風俗なので、申し込みができるのはおそらく女性に限られているのだと思う。風俗というと、女性が男性に対して何かしらのサービスを行う仕事が一般的になっている気がするが、こういった、女性が女性にサービスを施す形の風俗業も、少しずつ知名度が上がってきている。

まとめ

アダルトコンテンツに対して、私がどうしても書いておきたいなと思っていたことを、とりあえずざっと書いてみた。こういうことを書いている記事を読んだことがない、そしてそういう記事を私は読みたいと思ったので、だったら自分で書いてみようと思って、こういう記事を書いてみた。

世代や年齢に関係なく、性の話は、わいせつだと思っている人が結構いるようだけれど、性はわいせつではなく、たいせつなのです。
何かまた書きたくなったら、適宜追記していこうと思います!

以上です。

【追記:アダルトコンテンツとしての、BL作品・百合作品についても、また機会があれば深堀りして記事を書いてみたいな!】