アデル、ブルーに恋をして。

 

jamsponts.hatenablog.com

 昔投稿した記事の中で、一本の映画を紹介した。

 

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 (IMDbより)

 

アデル、ブルーは熱い色という作品。

 

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私はこの映画が大好きだ。今まで見てきた映画の中で、いちばん好きな作品かもしれない。私の友人の一人、映画化を目指し、自身で脚本を書き進めている友人、なおかつ映画に対して鋭い視点と批評の眼差しを持つ友人に、この映画を紹介したところ、その友人も大絶賛していた。

どうして私はこの作品に惹かれてしまうのだろう。

この作品が、レズビアンの恋愛を扱った作品であるということは、自分にとっては入り口でしかなかった。もっと大事なのは、この映画が一瞬のうちにしか生じえない質感や空気感を、とても大切にしていたということ。

自分が本当に映画を見ているのか、途中で分からなくなる。カメラが本当にあるのか、信じられなくなる。自分がその場にいるような錯覚に陥る。

食事をする場面が好きだ。

スパゲッティを食べる場面。アデルが家族と食卓を囲み、スパゲッティを食べる。アデルがエマを自宅に招待して、みんなで一緒にスパゲッティを食べる。パーティーのために、アデルが手料理をもてなす、そのとき、大皿でスパゲッティを用意して、みんなが各々、口元を紅くしながら、スパゲッティを食べる。ちゅるっという軽やかな音を立てながら、がやがやと楽しそうに会話を弾ませながら、みんながスパゲッティを食べる。こっちまでスパゲッティを無性に食べたくなるのは、言うまでもない。

カキを食べるシーンもあった。それから、タコスを食べるシーンもあった。サンドイッチなのかな?たぶん、タコスを食べていたと思う。

それから、アデルがボーイフレンドと別れたとき。アデルは沈んだ顔をして部屋に戻り、洋服を脱ぐ次の瞬間、ベッドに転がる、アデルの顔はぐしゃぐしゃに崩れる。それから、ベッドの下に取っておいたお菓子箱からチョコレートバーを取り出し、何も考えずに噛む、ほうばる。

食べる場面がたくさんあって、とても好き。

食べるという行為は、「食欲」というひとつの大切な欲求だ。映画を見ているとき、それがたまに、置き去りになっているような気がして、私はたまに寂しさをおぼえる。

そういう寂しさを、アデルは埋めてくれたのかもしれない。見ていて、心が落ち着いてくるというか、安心するような感じがした。食べる場面が好きだ。

そういえば、パーティーでスパゲッティを食べながら、人々がセックスについて語り合う場面も好きだ。男性と女性のオーガズムには違いがある。男性よりも、女性のオーガズムのほうが神秘的であり、奥深いと、ひとりの男性が語る。それをみんな、スパゲッティを食べながら、目を合わせ、耳を傾け、自分の思いを伝える。

セックスについて人々が語り合う場面というのが、とても知的で、神秘的で、静謐で、自由で、とても人間らしく思えた。美しい場面だ。

そう。この映画は、人間が持っている欲求を描こうとしているのだと思う。食べるということ、セックスということ、眠るということ。押し付けることなく、ありありと、映し続ける。

すこし前に、誰かが言っていて気が付いたこと。それは、赤ちゃんの描き方について。 

のちにエマが付き合うことになる、リズという女性。彼女のお腹には赤ちゃんがいる。リズが映画の中に初めて登場するのは、パーティーの場面。あまりにも自然に登場したので、私はリズが妊婦であるということを、半分くらい忘れかけていた。ふっくらとしたお腹を、エマやアデルが触れる場面もあるので、赤ちゃんの存在を強調する場面は確かにあるのだけれど、それが重要なことのようには、自分には感じなかったから。

 

赤ちゃんがお腹にいる女性。そしておそらくリズは、シングルマザーだ。

その女性がエマと恋をして、家族となる。

 

エマもリズも、リズのお腹の中にいる赤ちゃんも、なんだか映画の中では皆しあわせそうで、この映画の好きなところのひとつ。優しくて、柔らかい気持ちになる。