印象に残っている展覧会

お題「印象に残っている展覧会」 お題スロットを回してみたところ、「印象に残っている展示会」というテーマを拾った。さて、何を書こうかしら。 いま頭の中をぐるぐると探してみたところ、ふたつほど思いついた。しかしこのふたつ、実際に足を運んだわけではなくて、噂やSNSの拡散によって情報を得たときに、印象に残った展示会。行ったことのない展示会について紹介するのは、なんだかチートのような気もするけど、せっかくなので書いておこう。

まず一つ目が、私たちは「買われた」展

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女子高生サポートセンターColado代表 仁藤夢乃さんAmebaブログより

これは、売春をしたことのある女子高生たちについて取り扱った展示会。行ったことがないので、どういうものなのかは詳しくは知らない。 全国色々な場所で開催しているようで、どこで開催してもかなり盛況だったようだ。私の住んでいる地域の近辺でもぜひやってほしいなと思う。 売春について私は決して詳しくはないのだが、言葉の綾のようなものについて考えさせられることがある。この展示会は「売った」ではなく「買われた」展なのだ。売春について考えるときに、私たちは往々にして、少女たちが自分の身体を「売る」姿を照らしがちだけど、実際はそこに、少女たちを「買う」人間の存在がある。だからこそ、この企画展示が「売春」を取り巻く少女たちの声をきちんと受け止めているのと同時に、タイトルを「買われた」と名付けることで、「買春」にも少なからず焦点を当てているということが、私には挑戦的な取り組みに映った。挑戦的というのは破天荒だという意味ではなく、これまでとは違った視点を投げており、興味深くて面白いという意味だ。

もう一つの展示会と言うのは、こちら、「2020年、渋谷。超福祉の日常を体験しよう展。」

www.peopledesign.or.jp

紹介用の動画もあった。

www.youtube.com

すごく行ってみたいけど、どうしても行けないのが残念すぎる。 行く機会がある人は、ぜひSNSやブログなどでエクスポの様子をレポしてほしい。 話は少し飛躍するけれど、バリアフリーLGBTフレンドリーって、なんだか言わんとすることが似ているなと思う瞬間が多々ある。どちらも一見良いことを言っているように聞こえるけど、でもこれらの言葉って、そのうち消滅することこそが一番の目標のはず。障害を持った人が、健常者が日常的に感じるのと同じくらいバリアを意識することも感じることもなく生活できることがだいじ。LGBTの人であっても、自分の性自認性的指向によって、自分の意思決定や行動が左右されたりせず、生活できることがだいじ。それは、少数派の人たちが、多数派の人たち並みに生きられるのが理想だという意味ではない。少数派の人々が生活するのに、多数派のやりかたに合わせる必要なんてない。 LGBTフレンドリー企業というようなことばが、日本でもよく使われるようになってきて、それ自体はものすごく良いことだなとは思うけれど、いつかそういう名称も使わなくていいようなところまで持って行けることが、私にとっての目指す方向かなと、感じた。

渋谷の超福祉展は、本当に行きたかったなぁ。ああいうのを、学校の校外学習などに組み込むべきだ。私は中学生のときに、車の展示会を校外学習として見に行ったことがあるけれど、タダでもらえるボールペンとか、試し乗りできるロボットとか、あとは会場の眩いライトの厚みとか、そういうものにばかり興奮して、車のことなんて何も見ていなかった。 あそぶ気満々の動物のような子どもたちを、渋谷に出向かせるのは、先生たちからすると冷や汗ものかもしれないけど、行ったら楽しそう。 そもそも、健常者と障害者で学校を分けることが、お互いの子どもにとって本当に良いのかが私にはよく分からない。もちろん障害者の場合は、児童の持っている障害によってケアやサポートも変わるだろうから、完全に同じ教室で時間を分かつことは難しいかもしれないけど、それでも休み時間に一緒に遊んだり、給食一緒に食べたり、掃除を一緒にやったり、図書室で本を読んだり、そういうことって、同じ空間でできることなのではないか。 なんとなくだけど、バリアフリーってそういうことなんじゃないのかなと思うんだ。