週間テーマ「私が文章を書きたくなるのは、こういうとき」

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」
ブログというより「私が文章を書きたくなるとき」について書こうと思う。
私が文章を書きたくなるときは、当たり前のようだけど、誰かに何かを伝えたい、書きたい、と強く感じたとき。例えば、ニュースを読んで自分の感じたことを言葉で表現したいと思ったとき。批判や考察を書きたくなる時もあれば、宣伝やお薦めをするために、書きたいと感じることもある。私がたいせつにしているのは、どんなときでも嘘はつかないように努めること。批判や考察をするならば、きちんと思ったことを言う。読んだ本や周囲の人間、知識人の言い分を鵜呑みにして、「あの人たちがこう言っていたから、私もこう思う」と、そういうことは辞めて、ちゃんと自分の頭で考えて、自分で感じたことだけを伝えようと努めるようにしている。それは、何かをおススメしたり、宣伝するときも同じ。みんなが良いと言っているから、あるいは、誰かに頼まれたから、そういった理由だけで宣伝するのは危険だと思う。

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私はたまに、キングコングの西野さんのブログを読むのだが、彼の主張は一貫している。それは、「自分が良いと思ったものは全力でやるし、全力で応援する」ということ。逆を言えば、どんなに有名な大手企業から頼まれても、自分で良いと確信を持てなければ、絶対に宣伝はしない、と。そのスタイルが、私には強く刺さった。
嘘と言ってしまうとなんだかネガティブな響きがするかもしれないが、自分のなかで確信をもって、自信をもって良いと思えることを伝えること。それが、私にとっては嘘を付かないということなのかなと、思う。
また、誰かに何かを伝えたいと感じるときの、もう一つの心境としては、直接その人に伝えることはできないけれど、どうしても意見を言いたい思ったとき。例えば有名人が何かを発言した、政治家が何かを主張した、新聞の記者がこういうことを書いた。そういうものに対して、直接反論をすることはできない。なぜなら、私と彼らの間にはあまりにも大きな距離が存在するから。苦情の電話をかけたり、オンラインから意見を投稿することもできるだろうが、それをする気はない、でも自分の思っていることはこうなんだ、と主張したいときに、私は文章を書いている。
自分で分析すると、文章を書いているときの内容の半分以上は批判と考察だと思う。たまに宣伝や、自分が良いと思ったものを紹介したりもする。
批判と考察をしていると、小難しい言い方をしてしまったり、難しく考えがちなこともある。批判と考察は、時として難しく捉えられたり、嫌われがちなこともあるけれど、私は批判と考察が好きだ。
かといって、それだけで文章を終わらせてしまうと、なんだか自分のなかでも不足しているように感じることも多い。そこからどうしていきたいのか、何をやりたいのかを、最後に書き加えておきたくなる。ただ言うだけで終わりたくない、自分の道しるべとして、何か爪痕となるものを残しておきたいと思うのかもしれない。
文章を書くということは、自分にとっては考えるという手段であり、もちろん相手に物事を正確に伝える手段でもある。
いざ話そうとすると、なんだか頭が追い付かなくて、中身のあることが何も言えなくなることが多い。文章のほうが、ある程度書きながら、ゆっくりと記憶を起しつつ、思っていることを書けそうな気がする。
こうやって書いてみると、なんだか自分でももやっとしたものが残っていて、いま初めのほうの文章を読み返していた。思ったことをちゃんと書いているつもりなのだが、なんか嘘くさいなと思ってしまった。ブログ用に文章を書くことがあまりにも久しぶりなので、上手く書けない。

話が少し脱線するが、私の中で「読み手がいること」はすごく大切なポイントだなと、少し前から感じている。
読み手を意識することで、文章の質は変わる。読み手が明確に、目の前の誰かに限定されればされるほど、私の場合、文章に気合が入る。
それはつまるところ、友人に手紙を書いているような、あるいはラインを送るような感覚に近くなる。ちゃんと伝わってほしいと思えば思うほど、言葉を後からでもちゃんと補おうと努めるし、分からないことは質問をして、理解をしあいたいと思う。