彼女たちから、透けて見えたもの

言いたくないけど、心の中でずっと思ってること。あえて難しい言葉も幾つか使う。
特権があるが故に、性差別を産む社会基盤の歪みに気が付かない男性がいるとする。これはこれで面倒くさい。「性差別なんて、ほんとにまだあるの?ずっと昔の話じゃないの?見たことも聞いたこともないよ」
存在しないと信じてやまない人たちに、存在していると説明することほど骨が折れることはない。
しかし、それよりも、幾重にも増して厄介なことがある。
性差別を自覚していない、あるいは気が付いているけど、それを腹の中に呑み込むことで、これまで一見平穏な生活をこれまで築いてきた女性たちだ。彼女たちにどうやって接したらいいのか、私はいつも困ってしまう。...
「そういうのはしょうがないことだから、結局は我慢するのが一番じゃないかな」「まぁでも私は幸せだよ」
これは、本当に難しい。私がやってることって、私が気が付いてしまったことって何なんだろうと思うよね。そして、私が彼女たちに新しい知恵のようなものを与えたとして、それが彼女たちにとって何になるの、ということでもある。女性たちを苦しめることになるかもしれない。問題に自覚的になるとはそういう側面がある。
誰であれ、性差別とは何なのかという疑問に一度辿り着くと、多かれ少なかれ苦しむことになる。男性ならば「一生働け、家族を守れ」という連鎖の存在に辿り着くのかもしれないし、女性ならば「子を産め、家庭に入れ、良妻賢母たれ」という連鎖の存在に行きつくかもしれない。この辺は人によって差があると思う。まぁ他にも、日常生活における性的侮辱であったり、いろいろ指摘すればきりがない。
すこし前、知り合いの高校生の女の子に出会った。私は顔が引きつった。そして、留学先でも、日本の別の大学からやってきた女性に出会った。あぁ、この人たちは腹の中にもう何か呑み込んでるんだな、て私は気が付いてしまった。こんなことを言ったら、ろくでもないかもしれないけど、表情を見たら大体わかるんだ。その人がどういうことを考えているのか、何を持ってるのか。彼女たちが私は好きだけど、でも、何か苦しそうなものが私には透けて見えてしまって、本人たちはきっと苦しいとも、なんとも思ってないだろうけど、私には見えてしまった。このとき、わたしにはかける言葉も何かしてあげられることもない。難しいわけだわ、と思う。
でも、私がその「何か」を再生産しないことで、彼女たちにとってもささやかな救いになれるんじゃないかと私は思う。それは私が無理してやることでも、強いて努めることでもない。きばることでも我慢することでもない。ただ、私はこのままだ。私は何も変わらないし、あなたたちに何もしないけど、…
この先の言葉が見つからない。