セクハラを塗り替えたい。

セクハラと言う代わりに性的侮辱と言うようにしている。セクハラという言葉が映し出す実体の重さと、その言葉が使われる文脈や、ぺらっぺらとした言葉の軽さ、その違いに、私はうんざりしているのだ。性的侮辱というのは自分で作った言葉なので、私以外につかってる人はいないだろう。でも、sexual harrassmentが表現したいものとは、本来これくらいの深みと繊細さが必要な概念だと私は思うのだ。
あとは、セクハラが意味するものや、その定義について深く考えず、「これは言っちゃダメ」「これはやっちゃダメ」と無配慮にバシバシ蓋をしていくことで、”セクハラ”を狩ろうとする日本のスタイルが大嫌いだ。そんな無遠慮なやり方ではだめだ。例えば女性に対するセクハラを語るときに、結婚、出産、容姿、化粧、恋愛、そういうものについて聞くのは全部セクハラになりますよ、あなたセクハラの汚名被ることになりますよと、ある種の強迫観念でしか、ハラスメントを払拭していけないのは、あまりにもやり方が幼稚ではないか。蓋をすれば、中で蠢くものたちは、隙間を探して血眼になる。蓋がされていなければ出て行ってもいいんだと解釈して、蓋を外そうとするか、あるいは微細な隙間を探そうとする。それではだめだと思う。
セクハラという言葉にこびり付いてしまった負のイメージを取り払うのが面倒くさいし時間がかかってしょうがなさそうだから、私はもうセクハラという言葉はジョークくらいでしか使わない。真剣に使える言葉ではない。そういう言葉は切り捨てる、どんどん処分していく。それが正しいのかは分からないけど、私は切り捨てる。音を聞いただけでイライラしてしまうのだ。何に対して怒りが生じるのか分からないけど、何も考えることなく思考停止でこの言葉が行き交うこと、それそのものが怒りに値する。
この怒りをどう咀嚼し、どう汲んでいくかを考える。