舟を編みなおす

 
舟を編むという小説を、つい最近読んだ。
舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

 

 

面白くて、一気に読み切った。辞書を航海に例えるところから、すべてが始まる。神は細部に宿るというのは言い得て妙で、どこか少しでも異常が発生してしまう、あるいはそれに予め気が付くことが出来ないと、船には穴が開き、最悪の場合、沈没してしまう。舟を編むというのは、とても慎重かつ時間のかかる作業で、辛抱強くいなければならない。そして、ことばのもつ可能性と怖さと危うさを、理解していなければならない。それでも、舟を編む人間というのはこの世に存在している。
ページをめくったその先にある、たったひとつのことばが、なんになるのか。しかし、それら一つ一つは、確かな部品として機能している。だから、見逃すことも気を緩めることもできないのかもしれない。
小説から学んだことだったのだが、日本は辞書作りにおいて、不運だともいえるし、恵まれているともいえるらしい。不運だと言われる理由は、政府が辞書作りに参加しないため、辞書を十分に作るお金がないこと。時間も手間もかかる辞書編纂作業には、莫大なお金が必要だ。それを、出版会社が各々負担しなくてはいけない。だから、常にお金は足りない。その一方で、それは甲に転じる。なぜかというと、政府が辞書作りに介入しないことで、比較的中立な立場から辞書をつくることが出来るからだ。政府が辞書の作成にかかわるということは、「政治的な正しさ」が、辞書に載ることばの選択の幅、あるいはそれらの解釈・意味に反映される可能性を意味する。実際に、どこかの国(それも小説には書いてあったのだけど忘れてしまった)では、政府が資金援助をする代わりに、辞書の編纂内容についても言及することが多い。
辞書をつくる作業量を考えると、それが重労働であることがうかがえる。それ故に、担い手が少ないのも、頷ける。残業を毛嫌いし、クリーンな環境で働くことを望む若者が多いこのご時世だと、余計にそうかもしれない。
話が逸れてしまった。
「神は細部に宿る」。
ひとつのことばの意味を書き換える。それは気が遠くなるような、大変な作業だ。そして、言葉の意味が変わったところで、誰かが気が付くわけでもない。ほとんどの人は気が付かないものだ。
それでも、書き換える。
フェミニズムをどう定義しますか?」
こんな難しい質問にぶつかると、私はどきどきする。さっぱり分からない。何が正しいのか、何が正しくないのか、私にはさっぱり分からない。知ろうと思えば思うほど、ただ深く分からなくなっていく。