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善意と知識

考える

はっと洗われるような表現に出会った。
「善意と知識は違う」
たまに感じること。
LGBTについて語るときは、いいね!多様性!と反応する人が、フェミニズムについて語ると顔を曇らせる、あるいは沈黙を押し通すということがよくあって。
私からすればどちらも凄く大事なことで、だからこそ話しているはずなのに、この反応の違いは何なんだ?とよく考える。
善意と知識の違い。
こんな簡単にまとめられるはずもないから、垂れ流し覚悟で思ったことを書いてみると、やっぱり善意だけで物事を語るのは無理なんだろうと思う。
善意があるかどうか、というのは割と大切なようで、どうでもいい。
知識があること、は、実はもっと大切なのではないか、と。
知識がある人間が世界最高に素晴らしくて、誉れ高い存在だともてはやしたり賞賛する気は、別にない。
ただ、なんとなく、善意と知識は違うし、どっちが大切かといったら、一概には言えないけど、知識、って重要やんな、ってこと。だ。

善意でものを語ると、一見していいことを言っているから、誰も批判しないし、むしろいいね!と言ってくれることのほうが多いのかもしれない。
でも、善意と悪意なんて表裏一体だし、一転してとんでもないことをいい始める可能性もある。
女性/男性学クィアスタディーズ、ジェンダースタディーズなど、これまでは学問としてすら認められなかった分野が、あえて学術分野に台頭する理由とは、そこにあるのだ、と。(これはわたしが言ったのではない、読んだ本が言っていた)
善意では補いきれないものがある、そこに補充すべきは知識である、と。