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眼鏡と補聴器

考える

 

昔、どこで読んだのか忘れた。
「めがね/コンタクトレンズ」と「補聴器」に対する人々や社会の扱いに落差があるという話だった。
目が見えない、あるいは見えにくいという人は沢山いる。統計やデータを見たことはないので断定はできないが、電子機器が身近になったことで視力が低下したというこどもは増加しているらしいし、視力の良し悪しは遺伝で決定することもあるんじゃないか、と思う。そして、年を重ねれば、誰だって視力が低下することはありうる。視力がすこぶる良い人もいれば、早くから視力が悪い人もいる。
視力が悪くなると、眼鏡をかけたり、コンタクトレンズをすることで、少しでも視力を補うことができる。イオンにも眼鏡屋さんは入ってるし、CMや広告の宣伝もいまや他の製品同様、ごりごりやってる。
有名な俳優/女優さん、モデルさんがイメージキャラクターを務めて、眼鏡をかける。彼らは何を身に着けてもかっこよくみえる。
眼鏡がキリッと映える。
だて眼鏡というものもある、眼鏡はファッションにもなるらしい。

その一方で、補聴器はどうだろうと。補聴器を販売しているお店は確かにあるけれど、宣伝面を比較したら、なんだか盛り上がりのようなもの、後押しのようなものは少ないような気がする。

視覚障害」とはあんまり聞かない(あるいは視力がよくない、という一般的な意味合いでは用いられにくい)が、「聴覚障害」は耳が聞こえにくいことをまるごと指した意味合いで、よく耳にする気がする。
障害。

障害ってなんなんだ?
目が悪い人のことを障害と呼ぶことは少ないし、「目が悪い人も暮らしやすい素敵な社会を」と謳う人も別にいない。
フードコートでご飯を食べながら、目の前においてあるゴミ箱を見ていた。大きな文字で「燃えるごみ」「燃えないごみ」と表記してある。要するに、大きな文字で書いてあれば、視力に関係なく、誰にとっても見やすい。ここでわざわざ「視力の悪い人にも見えやすいよう、大きな文字で表記して配慮してあります」という必要性がどこにあるだろうか?
体が震える。大事なことを書いていると、ぶるぶるっと身体が震える。