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ミスコンがさっぱり分からない

 ミスコンが、分からない。

ミスコン・・・ミス・コンテストとは、ミスの敬称が示す通り独身女性を競うイベント。一般的には容姿を基準に審査員が優劣を決めるため、コンテストの上位入賞者は美人肩書きを得ることになる。日本語では「ミスコン」と省略されたり、「美人コンクール」と呼ばれたりもする。(Wikipedia日本語版から引用)

 美人の確固たる基準なんてなくないか?

そして、美人という存在をわざわざ決めることに意味なくないか?

ミスコンというイベントを目にするたびに、私は分からなくなる。

これ、何が楽しいんだろう?

容姿の整った女性たちが出場し、審査員のお眼鏡に適えば、それに見合った賞(と名誉ともしかするとその後の人生の成功)を頂く。

容姿に自信がある、ということを否定するつもりはない。

むしろ、それはその人の武器になりうる。武器になるような社会であっていいのか、と思ってしまうことは、もちろんあるけれど・・・、しかし、武器は武器だ。

モデルや女優と言った職業は、乱暴な言い方をするならば、自らの容姿を商品化している人たち。だから、容姿に自信があって、なおかつそういう職業に強い意欲と関心があるならば、きっと向いているだろう。

別にそれだけではなくても、自分自身に対して自信があったり、好きだという感情をもつことは優しいことだと思う。暖かいことだ。

容姿への自信は、素敵だと思ってる。

でも、審査員の立場で考えたときに、よく分からなくなる。

あなたたちは、何を基準に美人を選ぶんだ?

美人って、「いやぁ、この人綺麗だなぁ」って、そんなゆるふわで曖昧なものだと思ってた。もちろん、鼻が高いとか、高身長とか、二重とか、なんかいろいろあるだろうけれど、そんなん、言ってみればメディアが押し付けた価値観にすぎないだろう。

Western womenをモデルとした、西洋中心的な物事の考えだし、大して当てにはしてない。当てにする必要性すら感じない。

自分が審査員だったら、何を基準に選ぶだろうか。

やっぱり、めちゃくちゃ主観的になると思う。

「この子、なんか可愛いな」とか「彼女にしたいな」とか。

彼女にしたい女性を選ぶコンテストなら、ミスコンじゃねえじゃん。

自分も一般投票という立場で一審査員をする機会が過去にあったけど、正直途方にくれてしまった。そして、結局誰にも投票しなかった。放棄した。投票なんてしたくないな、と思った。

誰が美人かって言われても・・・、そんなの判断する人によるだろ・・・と。

なんなら、他薦であれ自薦であれ、そのコンテストに出場する決意をする女性なのだから、そりゃあみんな美人だろう・・・、もうみんな優勝でいいじゃん・・・と投げやりな気分になってくる。

要するに、ミスコンなんてどうでもいいのだ。

みんな魅力的、みんな素敵じゃないか。それ以上、何が必要だと言うんだ?

そこに優劣付けるみたいなことをするの、私はぜんぜん楽しめない。主観でこの人がいい、この人はよくない、と自分の価値観にはめるのも退屈な話だ。

やりたい人たちで勝手にどうぞ、と思ってる。

 

顔面偏差値という言葉を聞いたことがある。いわゆる美女美男は顔面の”偏差値”が高く、ブス/不細工は偏差値が低いのだと言う。

学業での偏差値は環境と自分の努力しだいで向上できるけれど、顔面含めた容姿って、生まれ持ったものだから変えようがない。もちろん、化粧やケアはできるけれど、基礎的な容姿の構造は手術でもしない限りは変わらない。

そういうものに対して、あえて偏差値という単語をあてはめることに、私は憤りを覚える。そんなことさせるのは何者なんだ。

また、そんなどうでもいい些細なことで地雷を生むのかと思うと、非常にめんどくさい。

容姿が良い悪い、そんなのどうでもいい。

みんな個性として、その姿を持っているのだから、そのすべてが素敵じゃないか。

ほんとうに、めんどくさい。

何かを褒めることと、何かを貶すことって、表裏一体だと思う。

美人は素敵!と祝福することは、美人じゃない人は駄目!とレッテルを貼ることに繋がってしまうことが多々ある。必ずではないが、往々にしてそうだ。

だから、とりあえず褒めれば良いだろうって思うのは危険だと感じる。

褒めることですら、人は人を傷つけることができる。