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嫌なことを伝えるということ

祈る 考える

「女性企業家が語る起業」という講演会を聴きに行ったことがある。スピーカーの方が一通り講演を終えると、主催者と思しき男性が後方から現れて、司会をとりはじめた。「では、せっかくですので、質問等ございましたら。特に女子学生の方」。誰も手を挙げなかった。聞きたいことがあれば講演中に質問をしていたし、実際にその場で聞きたいことは、特にだれも、何もなかったのだろうと思う。男性主催者は、続けて声を少し荒げて、繰り返した。「だれかいませんか、女子学生の方!」
そこまで聞いて、私は不快感を覚えた。
この人は、いったい誰に向かって声を荒げるのだろうか。
前提として、女性、男性、そういったものは、あくまで、自分で名づけることのみが可能だとおもう。他人から、あなたは男性だ、女性だといわれる筋合いはない、言われたからといってどうなるものでもない。
「企業をしてみたいけれど、女性だと不利なのではないか」
「すこし不安がある」
そういう声を、女性が発することには、大きな価値がある。そして、そういう声をあげること、自分の困っていること。悩んでいること。嫌なこと。自分が伝えたいことを発信できるのは、”女性”だけだ。
主催者が「ここには”女性”がいる、そして彼女たちは、困っているに違いない、何か言いたいに違いない」という憶測で声を荒げたこと。それがひとつ不快だったのだと思う。(そういう質問がひとつでも出たほうが、講演会の流れにとっては”オイシイ”からという計算ももちろん、単純にあったのかもしれないけど)
そういう風に決めてかかる発言は、時として暴力的になる。私は事実、不快だった。ほかの人がどう思ったのかはわからないけれど。
セクハラという単語が一人歩きしているけど、こういう出来事こそ、本当の意味での”セクシャルハラスメント”なんじゃないだろうか...と思う。
単純に「結婚の話はむやみやたらにするもんじゃありません」「女性蔑視を踏まえたような発言や行動は慎みましょう」「セクハラ防止を徹底しましょう」と言うだけでは、ものすごく表層的な議論で終わってしまう。なにが、どのような意味でセクシャルハラスメントなのか、これから何を変えていきたいのか。深い表層での議論をしたいね。
いろいろ考えすぎて、いざ言葉にすると、誰にも伝わらないから、それが難しいのだけれど。