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ダイバーシティとイデオロギー装置

考える

「女性が学術研究の分野で活躍するということについてどう思いますか?」

司会進行の女性教員にこう質問されたとある男性教員は、こう答えた。

「もちろん、もっと女性に来てほしいよ!僕はダイバーシティが好きだから」

 

ダイバーシティが好きだから。

 

失笑。

そして、ため息。

そして、驚き。

そして、落胆。

女性が学術分野で研究者として活躍することで、ダイバーシティ(多様性)が生まれるのか?そんなことで?

正直、がっかりした。

女性が働く。たったそれだけのことに、ダイバーシティという言葉を持ち出してきた。その男性教員は、おそらくとても男根主義的で、フェミニズムを含む女性解放運動のことなど、何にも知らないんだろうなと思った。

俺たち男の世界に女が来る?いいね!ダイバーシティじゃないか!

大げさなのは重々承知。たった一言の台詞からあれやこれや推測して話を膨らませて文句を言っているだけなのも承知している。でも、やっぱり違和感だらけだ。

 

さらに突っ込むなら、本当に男女平等の世界が実現しているなら(”男女平等”って何なのかってところ、よくわからないし、フェミニズムが男女平等を目指しているのかもわからないけど)、そもそも

「女性が学術研究の分野で活躍するということについてどう思いますか?」という質問自体が生まれないはずなのだ。

「AB型の人間が学術研究の分野で活躍するということについてどう思いますか?」

はい?ってなるでしょう。血液の種類の違いが、どうして労働に関係するんですか?って。性差がどうして労働に関係してくるんですか?そんな応答がされるなら、ずっと自由なのだろう。そんな風に、女性を取り巻く問題提起そのものが意味を成さなくなればいいのにな、と思うのである。

 

性差とは本当に難しい問題なのだな、と常々感じる。

男と女。それだけの話でしょう?何を悩む必要があるの?

もっと他に楽しいことあるって!楽しいことを考えようよ!

 

性差とは凄く凄く複雑で、これは一種の国家宗教のようなものなのではないかと思うようになってきた。ジェンダー入門の授業などで話を聞いていると、どうやら学生はみんな同じような結論を共有してるらしい。

男らしさ、女らしさを押し付けるのはよくないよね。

誰だって自分らしさをもっているのだから、固定観念にとらわれず、自分らしさを互いに尊重しあえるようになろうね。

それは正しい。でも、本当にそれだけで、フェミニズムが闘ってきた問題の数々はチャラになるのだろうか?だって、男らしさ女らしさや、性役割といった装置は、それを利用する大多数の人間の需要に合わせて供給されてきたはずである。もし本当に「自分らしさ」が真に大切なら、男らしさ女らしさ、性役割などといった概念たちは、とうの昔に淘汰されて、使い物にならないイデオロギー装置になって捨てられていたはず。

しかし、現状は違う。男らしさ女らしさは死んでなどいない。性役割も性差別も無くなるどころか、いまもなお形を変えて繁殖し続けている。

それに無知のまま、イデオロギー装置によって遠隔操作されていることに気がつかないまま「自分らしさが大事」と唱える人々がいる。それが怖い。

 

jamsponts.hatenablog.com

 この本をほんの少し読んだだけで、まず近代における家族制度そのものが矛盾を孕んでいることに気が付く。

 

jamsponts.hatenablog.com

 

jamsponts.hatenablog.com

女性性は時代に関わりなく、常に消費されるために商品化されている。商品化されているくせに、中高生が妊娠したりすると社会は白い目を向けて差別するし、学校教育は性のことについては何も触れようとしないし、AV女優や売買春をはじめとする性産業の話は、メディアや教育では禁句である。矛盾だらけじゃないか。

(学校現場における性教育については、性教育自体は何も語らない一方で、学校制度というメカニズムそのものが、女性性と男性性に対する幻想を構築するメッセージを発信し続けているということに最近気が付いた。それはまた、改めて記事にしようと思う)

今もなお、ジェンダーについて、フェミニズムについて、セクシャリティについて、学ぶ意義は十分にある。時代は変わっても、根本的な制度や仕組みはたいして変わってはいないし、人々を縛り付けるイデオロギー装置も変わっていない。

それを少しでも解明したいというのが私の思いだ。