【講演会】クェート留学とイスラム教徒の女性たち

クェート政府奨学生として、クェートの語学学校に1年間留学されていたMさんのお話を聞いてきた。

「いま、アラブとかイスラムとか聞くと、危険な地域だと想像する人も多い。でも、少なくともクェートは治安が安定しているし、その国ならではの魅力もたくさんあったということを、今日はお話したいと思います。」

まず、クェートはどこにあるのか?

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イランとサウジアラビアの間です。

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クェートを更に拡大してみるとこんな感じ。Mさん曰く、クェートの面積のほとんどは砂漠に覆われていて、とてもじゃないけど人が住めるような場所ではない。人が住んでいるのは実質海岸沿いの中央部のみだそうだ。(それは知らなかった)どんな人が住んでいるのかというと、クェート人は3割で、のこりの7割は外国人労働者。クェートでは貧しい家庭でもメイドを雇うのが一般的らしく、メイドさんはフィリピン人が多いとか。それ以外にも、インド、パキスタンバングラディッシュなどから労働者が集まるのがクェートだ。

では、クェートとはどんな国か?

クェートの公用語アラビア語。英語はあんまり通じない。

宗教はイスラムスンナ派

シーア派が少数派なのに対してスンナ派は多数派。イスラム圏の90%の国家がスンナ派だ)

 

Mさんはクェート内の大学寮で生活をしながら、バスに乗ってとある大学内のLanguage Centerで日々アラビア語を習得していた。

アラビア語というのはMさん曰く「生産性のない言語」。というのも、「とにかく忍耐が必要だから」だ。

なぜ忍耐が必要なのか?

理由は大きく分けると3つ。

まず、日本語や世界共通語の英語とは言語構造がまるで異なるため、勉強するのには覚悟が必要だから。

そして、アラビア語という言語自体も難解だから。

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いわゆるアルファベットが28種類。これに加えて、それぞれのアルファベットが、文章の最初、文中、文末に来るときの3パターンに応じて変形する。つまり、アルファベットだけで28×3=84種類覚えなくてはならない。しかも、アラビア語は主語が一人称、二人称、三人称以上のパターンに応じて動詞が全て変形する。人間の数に応じて言語が構造を変化させるのだ。だから、慣れてない語学学習者からすると物凄く忍耐が必要となる。

それに加えて、アラビア語の典型会話にはイスラム教徒の習慣が深くかかわるフレーズもたくさん登場するので、ただ机でガリガリ勉強するだけでは言語習得はできない。深く土地に根付く文化丸ごと吸収しないと、アラビア語をしっかりと身に付けることは難しい。

 

言語学習以外にも、ラマダン(断食)の様子や(Mさんも非イスラム教徒としてラマダンを体験、日中飲まず食わずを実践したところ、一ヶ月で運動もせず2.5キロ減少したそうだ)、巡礼、イスラム圏内の一人旅の様子などたくさんたくさん話してくれた。ここで全てを書くにはまだまだ字数が必要なので、ひとまず割愛して、一番印象に残ったことを書き記しておきたい。

それは、何か?イスラム教徒の女性たちのお話だ。

イスラム文化の中で1年間生活をして、日本に帰ってきて、日本のここはなんか変だな、とか思ったことはありますか?」という質問をしたところ、Mさんは「女性らしさ」について感想を述べてくれた。

イスラム教徒である限り、女性は自分の髪の毛や肌を覆い隠す。基本的に覆い隠すにはヒジャブ、アバヤ、ニカーブという3つの方法があるそうで、

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これはヒジャブ(色は問わず布で髪を覆う、東南アジアなどでも一般的)

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これはアバヤ(黒い布で髪を覆う)

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これはニカーブ(髪、おでこ、口元を布で覆い隠す)

イスラム教徒にとって、女性の美しさの基準は髪の長さにあるという。そのため、髪の毛を人前で見せるという行為は、女性の美しさを強調することに等しい。

女性の美しさを強調すると、男性を欲情させてしまう。だから、女性は謹んで髪の毛を隠す。(身内の男性にのみ、布をはずすことが許されている)

顔を隠すのも、おそらく美しさを隠すという意味では髪の毛の延長線上にあるのではないかと推測する。

クェートにおいて、男女の区別化はあらゆるところで機能する。

たとえば、スクールバスは完全に男女で車両が異なる。モスク(礼拝所)でのお祈りも男女別。公共施設やショッピングモールにある公共トイレも、男女で場所がぜんぜん違うところにあり、日本のように男女そろってトイレのサインがある、ということはまずないらしい。

なぜそこまで男女別に徹底的にこだわるのか?

Mさんが言うには、イスラム文化とは「女性を守る文化」でもあるだからだ。

女性を守るためにヒジャブやアバヤの着用を義務付ける。それを守り抜くのが男らしい男性ということなのである。性役割がはっきりしていて古風とも言えるけれど、こういう男女の形も存在する。

Mさんは続けて日本の女性らしさについて指摘した。

「どうやら、日本における女性らしさは、露出するということに重きを置いている気がする。」

例えば、ミスジャパンのオーディションには水着審査がある。参加者は皆、自分の顔、腕、胸、お腹、太ももなどをバシバシ強調して審査される。

それだけではない。今日テレビを観ていたら「美脚大賞」というコンテストの様子が報道されていた。綺麗なお化粧と妖艶なドレスで脚を強調した女優さんやモデルさんがカメラの前で微笑む。カメラも意図的に彼女たちの脚にズームアップする。

これらは全て当たり前のようになっているが、要するに「女らしさは見せつけた美しさで決まる」というわけだ。これはイスラム文化における女性らしさとは相反する。彼女たちは美しさを隠して生活しているからだ。

興味深いお話だった。

ただ、私はフェミニズムに関心が強いため、「イスラム教徒の女性が、自分自身の権利拡大を目指して運動を起こすということはよくあることなのだろうか?」という疑問を持たざるを得なかった。彼女たちの生活様式やルールはイスラム教という宗教によってその大多数を決定付けられる。それに対して疑問を持ったり、抗ったりする女性はいないのだろうか?

例えば、ヒジャブを着たくないとか、女性が常に守られるべき立場にあることを拒否するとか。

自分の今後の研究課題として、イスラム教徒の女性が、フェミニズムという概念をどう捉えているのかについて、調査してみたいなと思った。