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日本の近現代史ってなんだ?

学ぶ

ちょうど頭の中の情報がほやほやの状態で出力をしたいと思う。

「日本」の「近現代」の「歴史」。

これら一つ一つの言葉には、どのような意味があるのだろう?

日本。島。地理的にほかのアジア諸国とは隔絶された一つの島。そのテリトリーの中を日本というのだろうか。教授がちらっと言っていたのは出島。

じゃあ、日本占領下にあった朝鮮半島はどうなんだろうか?

日本人がそこそこいて、日本語教育が強制されていて、現地の人間ができるだけ日本人になるように強制されていた環境。

日本、というのは、必ずしも地理的に区分されているものではない。

日本史、とは、では何を意味するのだろうか?

私が授業中に発言したのは「日本政府が教えたい過去」が日本史だ、という仮説。つまり、日本の外交政策や諸外国との立場を考慮したときに、採用したいお話が歴史となり、教科書などを通じて日本国民に伝承されていく。それが日本史。逆に言えば、日本政府にとって不都合な情報は検閲されているかもしれないし、その結果日本史として取り扱われない可能性だってある。

実際、私が過去に使っていた文科省指定教科書では、アイヌ民族琉球王国の話はおまけ程度にしか紹介されていなかったし、南京大虐殺に関する情報は手薄だったし、原爆投下はトルーマン大統領がいかに決断能力を失っていたかにはまったく言及せず、あくまでどれだけの日本人が死んだかにスポットライトを当てる。もちろん、当時広島で被爆した韓国人の被害状況や戦後差別について言及するわけもない。

あくまで、日本政府による、日本国民のためのつくられたお話。それが歴史。

歴史家がいるのは、そういった千切れた断片をつむぎ合わせたり、つなぎ合わせたり、または逆に分解してみたりして、歴史というお話の新たな側面を常に探し続けなければならないからだと思う。歴史はいつでも未完成だ。

近現代。この言葉に関しても、おそらく文化や環境によって意見が大きく分かれる言葉なのではないかと思う。たとえば、私の感覚からすると、近現代とは日本が敗戦する1945年以前の歴史を指す。教授は1850年までだとしていたので、もうすでに意見は食い違う。私は、現代という言葉を聞くと、現代化という概念を思い出す。現代化とは、ここでいうと立憲主義国家になるということだと私は解釈する。明治憲法を適用させたまま戦った二つの世界大戦においては、日本は軍事力に政権を奪取され、軍事独裁政権と化した。それは、おそらくさまざまな要因が絡み合っているとは思うのだが、日本の憲法が統治権を限定し切れなかったという点が指摘できる。だれが、どのようにして統治権を握るのか、またそれらはどのようにして国民により制限が加えられるのか。それらが曖昧にされた結果(もちろんそれも意図的だった可能性は十分にある)、戦中において軍事力が台頭し、文民の発言力は急速に衰えた。

1945年に日本が連合国軍に無条件降伏(実際は条件を与えているので厳密には無条件ではない)し、明治憲法はそのあと日本国憲法へと取って代わられる。日本国憲法では明治憲法よりもさらに具体的に統治権の制限に関する説明が加えられた。そして、日本は戦争からの復興を遂げていく。

近現代。現代という言葉が現代化という意図を含むなら、日本における統治権の制限がいっそう充実した日本国憲法の成立後こそ、現代の始まりなのではないだろうか。

そうか、そうすると、1946年というのが、私なりの日本現代史の始まりということになる。つまり、1946年以前が、近現代史

それにしても驚いた。近現代史の授業がまさか弥生、縄文時代から始まるとは。古代史とか、中世史とか、そういう言葉を遥かに飛び越えて、教科書の一ページ目からのスタートである。

そういえば、レキシというアーティストを思い出した。


レキシ 狩りから稲作へ