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ワールドワイドな愛~リオ五輪公開プロポーズのNHK報道~

祈る 考える

 

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まず感じるのは、このように同性カップルについてNHKがとりあげてくれたのは素敵なことだということです。4組のうち半分の2組が同性カップルのプロポーズ。それを非常にポジティブに報道してくれています。

しかし、司会者のやりとりに私は一抹の不安を覚えました。

「これどちらも女性ですよね?」

「これも、こんどは、男性、どうし?」

「ちょっとね、ワールドワイドな愛なので...」

女性/男性どうしのプロポーズに困惑した司会者の様子が感じとれます。しかし、正直それは致し方ない。なぜなら、日本において公に(なんならリオ五輪のような世界中が注目する舞台で)同性カップルがプロポーズをするという光景は、なかなかお目にかかれるものではないからです。むしろ、そのあとの一言が私は気になりました。

ワールドワイドな愛。

これ、どういう意味なのだろう?どうして、この言葉を選んだのだろう。

ここからは完全に私の主観による意見になります。

司会者が発した「ワールドワイドな愛」というのは、「日本では愛とは呼ばない形の人間関係けれど、外国にひとたび出てみれば愛という名前で呼ばれることのある不思議な関係性」という意味なのかなと思ったのです。

日本における愛とは、あくまで男女間のみによって成立するもの。同性同士の恋愛関係や深い絆を愛とは呼びません。それは、同性パートナーの認知度がまだまだ低いことからも推測ができますし、行政上の整備不足を見ても指摘できるとおもいます。個人レベル、国家行政レベル両方において、同性カップルに愛は適用されない。

私が悲しいと思ったのは、アナウンサーの「ワールドワイドな愛」という言葉に、日本の同性カップルの未来を応援するような、肯定的なニュアンスが含まれていなかったということなんです。どうして、「日本ではまだまだ認知度の低い同性カップルですが、リオ五輪においては2組のカップルが公開プロポーズをしました」と、話を続けてはくれなかったのだろう。どうして、ごく自然に報道してはくれないのだろう。

ワールドワイドな愛なので、と言うこと。それは、一般的に認知されている愛と、それには該当しない愛との間に、鋭く一線を画するような作業でしかなかったと感じます。

どうしてそこに線引きが必要なのだろう。