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韓国被爆者から見る原爆

祈る

1945年8月6日。エノラゲイに運ばれた原子爆弾が、広島の街に投下された。

一瞬の光に包まれ、灼熱の太陽のような熱に焼かれて、数えきれないほどの人間が火傷をした。腕や足や大切な身体の一部を失った。失ってはならない命でさえたった一瞬のうちに粉々に砕かれた。たった一発の原子爆弾が、広島の街のあらゆる息吹を全て奪い去ってしまったのだ。

しかし、広島に投下された原爆による被爆者は、日本人だけではない。鎖国をしていた江戸時代とは異なり、様々な地域、国の人々が生きていたのだ。韓国人の被爆の実態も、その中のひとつである。

意外と知られていないが、原爆による被爆者の10%は韓国人だった。また、外国人被爆者のうちの90%が韓国人だったと言われている。数で言うと広島には50000人、長崎には20000人もの韓国人がいた。第二次世界大戦中に日本の敵国だったアメリカは、原爆が投下されなかった場合のアメリカ兵士の犠牲者数を計算しており、それによるとおよそこの50000人という数はそのアメリカの予測数よりも遥かに多い。