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「まぁ、そういう世界もあるんだよ」。

考える

少し前に、複数の友人と食事をしていた時のこと。Nさんがカナダのバンクーバーへ旅行をした話をする。現地で出会った友達がゲイで、彼らにゲイバーに連れていってもらったという話。フランクな口調。そこに、別の友人Sさんが聞いた。

「ゲイとオカマって何が違うの?」

衝撃の質問に私は内心ひやりとする。しかし、Sさんの様子をみると、彼女は単純に何も知らないのだということが推測できた。何も言わずに黙っていると、それに対して、Nさんはフランクな口調でこう続けました。

「ゲイは自分を男だと思ってて男が好きで、オカマは女だと思って男を好きになるんだよ」

おおお。新しい定義が生まれた。(と心の中で思った。)

すると、それまで静かに話を聞いていた別の友人KさんがSさんに一言呟いたのである。

「まぁ、そういう世界もあるんだよ」

さて、この一連の話、いろいろとツッコミどころがある。オカマはテレビでしか使わない業界用語みたいな側面が強いし、オカマの性自認セクシャリティも私はわからない。(実を言えばオカマの定義もよくわからない)

ゲイとオカマを混同させる友人、それに対してトンチンカンな説明をする友人。

でも、実は一番悲しかったのは、最後の「そういう世界もある」という言葉だった。

 

日本において、LGBTという言葉の知名度が少しずつ少しずつ上がってきているのを感じる。それはそれで嬉しいことなのだが、最近はなんだか、LGBTという言葉、もしくはその枠組みの中で使われる言葉たちに嫌気がさしてきたりする。

「当事者」「同性愛」「LGBT」「ゲイ・レズビアン」「性的指向」「性自認」…

こういった言葉って、なんか重い。日常生活と切り離して、厳重に丁重に扱っているような感覚が残る。はたして、私達が実現したい世界って、そういう世界だったのだろうか?

 

自分自身も常に勉強不足で、人にとやかく言うことはできないが、「そういう世界」という友人の一言は、「マジョリティーの安心安全な世界と、LGBTたちの世界は別次元だ」と言っているようだった。

自分のやってきたことが無力に思えた瞬間で、寂しくもあり、悲しくもあった。

LGBTの人、そうでない人。そこには境界線が生まれる。何故なら、LGBTのことをみんなに知ってもらうためには、LGBTという言葉を作る必要があったから。そして、その言葉をみんなに知ってもらう必要があったから。

でも、境界線をつくる究極の目的は、境界線をはずすことにある。

境界線をはずすために境界線を引く。矛盾しているかもしれないけど、それが真理だと思う。

性別にとらわれず人々が生きてゆける社会を作りたいから、フェミニストは「女性」と声高に叫び続けてきた。

あのひとはレズビアン、このひとはトランスジェンダー

彼らの権利を獲得するためにつくったラベル。でもそんな風にラベルを貼り合い続けるのは疲れるし、そんなことをする必要もないくらい、当たり前の話になるということが大切なこと。

「まぁ、そういう世界もあるんだよ」。そこには、繋がっていたはずの大陸がこちらの世界とあちらの世界で無作法に分断されたかのような、埋めようのない違和感があった。