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ジェンダーと運動競技

学ぶ

www.ncbi.nlm.nih.gov

Testing sex and gender in sports; reinventing, reimagining and reconstructing historiesという論文を読みました。要約部分を簡単に和訳します。

世界の多くの競技団体が、人間は男性又は女性に分類されるという命題を信じ込んでいます。結果として、インターセックストランスジェンダーを含む、全ての選手はそのいずれかのカテゴリーに分類され、競い合わなければなりません。1930年(1960年頃と言われることもあるが、それは事実とは異なる)頃から、これらの競技団体は、国内の女子大会や世界大会における選手の競争能力に対して、公平な判断を下すため、科学、医療的な専門家に頼り続けてきました。…

翻訳するのに疲れてしまいました。英語で読むものを日本語で読み直すのは、なんだか骨折りです。英語で読むときは、英語の頭に切り替えて読む。日本語の場合は、英語で獲得した知識を分解、構成し直して咀嚼してから、日本語の頭で発信するという感覚があります。それを考えると、翻訳って難しいですよね。意味合いを変えてしまったらそれは翻訳とは言えないし、かといって直訳したからといって、意味が伝わりやすいとは限らない。うん、やっぱり難しいです。私はここでは話を先に進めたいので、とりあえず翻訳はほっぽっておきます(笑)。英語の記事のリンクを貼っておきますので、読んでみたいという方は是非どうぞ。

さて、要するに、ジェンダーと運動競技の問題について、ここでは取りあげられている訳です。以前、「性とは何か」というテーマで記事を書きました。

 

jamsponts.hatenablog.com

 

正直、上手くまとまってませんが、私なりの解釈で頑張って咀嚼したつもりです。ここで、生物学的な性(セックス)について紹介しましたね。おぎゃあと生まれたときの性器の形状、または生殖腺、ホルモン分泌量などで決定される性のことです。人々は生まれながらにして(平等、といいたいところだけど)男性or女性という二つのカテゴリーのどちらかに分類されるわけです。そして、その生物学的な性というのは、私たちの日常生活においても様々な影響をもたらします。例えば、学校生活。トイレや更衣室、場合によっては保健体育の授業など、様々なものが性別によって分別されます。(個人的には、セックスとジェンダーは揉みくちゃにされたある種の幻想のようなものではないかと思っているのですが、まだargumentが熟成していないのでこれはまた次の機会にまとめようと思います)性別による区別化は、運動競技においても同じように適用されてきました。生まれた時に男なら、男性選手。女なら女性選手。とても簡単な話のようにも見えます。運動能力において、男性と女性の間に違いがあるということは理解できます。例えば、競泳という種目においては、男子と女子では全国大会の出場容認基準が異なります。男子選手は女性選手よりも速いタイムを要求されます。おそらく、長距離マラソンなどの陸上競技でも、同じようなことが言えるのではないでしょうか。しかし、今日において、このような基準はもはや絶対的には機能しません。例えば、トランスジェンダー男性の選手がいたとします。出生時の性別は女性ですが、性自認(こころの性別の改まった言い方)は男性だとします。男性ホルモンの投与をしており、一般男性並みの筋肉量や運動能力を獲得しましたが、性別適合手術はしていません。彼は戸籍上の性別に従い、女性選手として大会に出場することになりました。

さて、これはどうなのでしょう?

どうなのでしょう、と質問するのも曖昧ですね。しかし、どうなのだろう、と思いませんか?運動能力においては男性並みの能力を有しているのにも関わらず、女性選手と競い合うことが、果たして全ての選手にとって平等だと言えるでしょうか。何よりも、性自認が男性である選手を、戸籍上の性別のみに従い女性選手と登録することは、人権侵害にはならないのでしょうか。難しい議論です。これまで盲目的に信用されていた性別二元論は、もはや通用しなくなっているわけです。

言い忘れましたが、トランスジェンダーインターセックスといった人々は、1930年よりも前から(というよりは時代の移り変わりに関係なく)世界中のありとあらゆるところに存在してきました。昨日今日に突然現れた新種の生き物ではないのです。と考えると、そもそも、性別二元論という考え方自体が、すべてを抱擁しきれていなかったわけです。今まで、いびつな形でこの概念が存在し続けたということのほうが不思議に思えてきます。

人の性別は、必ずしも生物学的な性(セックス)によっては決定されません。そして、医学的、科学的見知によって定義付けされてきたセックスも、もはや機能していないのです。運動競技において、ジェンダーという概念に対する考え方の根本的な転換が必要になっているのです。