仲間外れは、つくらない。

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「食戟のソーマ 餐ノ皿」は、料理学校で日々料理の腕を磨く生徒の様子を描いたアニメだ。そのアニメのエピソード1を昨日初めて見たのだけれど、あまりにも衝撃すぎて戦慄してしまった。

落第ギリギリで、常に落ち込んでいる女子生徒と、料理の腕がすこぶるいい男子生徒がペアを組むことになり、その日の課題料理をつくっているシーンだった。料理を遂に完成させて、不安げにしている女子生徒が料理をひとくち口に入れる。女子生徒は目を見開く。そして、女子生徒は次のカットで、裸で空をふわふわと飛ぶ。カメラはそれを後ろから捉えているため、裸の背中だけが視聴者に見える。すると、男子生徒の顔をしたハチが蜂蜜の瓶を抱えて、その中身をどんどん女子生徒の裸体にかけていく。蜂蜜まみれになった女子生徒は快楽を露わにしたような紅い顔をカメラに向けて声を出して喘ぐ。私は驚きのあまり声を失った。そして、思わず笑ってしまった。
このアニメをつくった人たちは、自分たちのやっていることがどういうことかを分かったうえでやっているのだろうか?もし深いことを考えずにこの描写にたどりついたとしたら、それは末期症状かもしれない。

この作品に対して、私がなにを感じたのか。せっかくだから真剣に考えてみようと思う。

”Male Gaze”というトラップ

自分で考えてみたのだけど、いちばんの問題点は「Male Gazeに漬かったアニメには女の子の主体性(agency)が存在しない」ということなのかなとおもった。Male Gazeとは女性性を性的な眼差しでとらえる視点のことをいうのだけど、食戟のソーマはまさしくそれだった。ちなみに、原作の漫画もアニメと同じようなリズムで構成されているため、アニメが原作を忠実に再現したと言ったほうが適切かもしれない。食戟のソーマは、最初から最後まで、すべてのシーンがMale Gazeによって構築されている。私のこころのなかで18禁指定のラベルを貼った、前述の回想シーンだけではない。アニメに登場する女の子たちは基本的に短いスカートを履き、生足を出し、巨乳を揺らしている。というか、これいつも思ってるけど、本当に「牛の乳か!」っていうくらい女の子のおっぱい大きいよね。そんなデカい乳の人、なかなかリアルでもお目にかからんわ!といつも思う。アニメや漫画は幻想の世界だから、何してもいいんだけど、それにしても幻想にもほどがあるというか。苦笑いしてしまう自分がいる。今の時代、女の子の身体を幻想的な型としてとらえるのはアニメ界ではデフォルトになってきている。そのアニメだけではなく、他の子どもむけアニメの大半が、大体やっていることはおなじだ。

漫画やアニメがMale Gazeである限り、女の子たちは男性性に性的な眼差しで見られる立場であり続ける。そういった状況で彼女たちが彼らに対して生み出せるのは、彼らの性的な眼差しに答える、彼らよりも性的な眼差ししかない。先日のアニメの場合は、蜂蜜を浴びた裸体の少女は、顔をまっかに赤らめて、カメラに向かって喘ぎ声を出した。それは、男性性による性的な眼差しを受け入れる少女の姿だった。そこに、女の子の主体性を感じることはできない。なぜなら、女の子を見つめている観客、カメラ、女の子自身を含めた作品の中の登場人物の視点はすべて、女の子の身体に性的な眼差しとして向けられており、それに抗う存在はどこにもないからだ。

すこし昔に、少年ジャンプでエロいと話題になった漫画作品があった。タイトルは忘れた。幽霊という名前が付いていたような気がする。

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調べたら出てきた。「ゆらぎ荘の幽奈さん」という漫画だ。

それもおんなじ感じだった気がする。女の子たちが裸体に近い格好をしていて、顔を赤らめて「見ないで!」みたいな怯えた顔をしている。私が覚えているのはそういう印象。

それを何とし、誰に見せることを想定するか。

「別に性器を出していないんだから、エロくはなくない?」

そういう風に考える人もいるかもしれない。まぁそうかもしれない。でも、エロいってなんなんだろう。よく自分でも考える。これ意外と難しい質問だよね。でも、私からすれば、性器そのものは別にエロくないんだよ。身体のパーツにすぎないから。エロいかどうかは、それを見る人間の眼差しが左右する。性器を出してもエロくない場合もあるし、今回の場合のように、性器を出さなくても、(わたしのこころのなかでは)18禁指定に匹敵することもある。性器が出ればエロい、出てなければエロくない、という考え方は、たぶん表に出ているアダルトコンテンツをただ思考停止して消費している証拠だ。それは、表層的なエロでしかない。
「エロいとは何か」とは私の中でもすごくホットなトピックなので、これはこれでまた思いついたら記事にして考えをまとめてみたい気がする。

ちなみに、食戟のソーマを18禁指定に匹敵すると考える理由は、作品の中の描写がセックスを連想させるものだから。そして日本では、セックスを連想させる描写を含む作品の多くは、人間の性的欲求をみたすことを目的として描かれており、そういう性的欲求を満たすための娯楽作品のことを、私たちはアダルトコンテンツと呼ぶからである。蜂蜜を女の子の裸体にぶっかける描写は、オーガズムに達した男性が、女性の身体めがけて射精する光景と重なる。そうやって想像する私の眼差しがエロいのかもしれないけど、私はそういう表現なんだと捉えた。それはそれでいいのだ。私はそれを楽しんだ。だから笑ったのだ。でも、この作品の想定されるターゲットは、私よりももっと年代の低い子どもたちだ。アダルトコンテンツに匹敵する内容を含んだ作品が、自分のことをアダルトコンテンツとは自覚せず、もちろんラベリングもすることなく、広く一般的に「少年向け」の作品として提示されている現実が、私には違和感なのだ。

jamsponts.hatenablog.com

日本では、アダルトコンテンツは18歳未満の人々には形式上は禁止されている。そのルール自体、なんで存在するのか?という疑問はこちらの記事で深堀してあるので、ここでは書かない。私が言いたいのは、日本においてアダルトコンテンツは18歳以上としましょうという確立したルールがある以上は、そのルールにのっとったほうがいいということ。私から見ると、この作品はセックスを連想させる描写がありありと描かれていた。そして、その描写はストーリー展開や作品の根幹となるテーマとはたいして関連性を持たず、単に性的欲求を満たすためだけに用いられた描写表現だったように思えた。だから、アダルトコンテンツとして扱い、18歳未満には見せない、逆に言えば、責任をもって見られる18歳以上の「おとな」向けの作品だと括りなおしたほうがいいのではないかとおもうのだ。

ちなみに、「食戟のソーマ 餐ノ皿」という作品の場合はすこし事情が複雑で、オーガズムによる快楽と美味しい料理に対する味覚的快楽が、意図的に混同されている。だから、何が問題なのかを指摘するのが難しくなっているのだと思う。こういう表現方法はアニメやマンガだけではなく、広告CMなどにもたまに見かける手法だ。もしかしたら、「メディアにおける味覚的快楽とオーガズムの関連性」というタイトルでもって、これもまた記事に書いてみるのも、おもしろいのかもしれない。まぁでも、とにもかくにも、「食戟のソーマ 餐ノ皿」という作品は、私からすれば十分アダルトコンテンツと言える作品だなとおもったので、そうならば、そう扱うのが適切なのではないかとおもう。

「みんな」に楽しんでほしい。

食戟のソーマは少年漫画であり、少年アニメでもあり、つまりそれはこども向けアニメでもある。こどもたちはそれを日常的に消費している。料理アニメの中でもかなり人気の高いアニメらしい。

別に放映を中止せよとか、描写を一新せよとか、そんなことを言ってるんじゃない。でも、こどもたちが見る作品というのは、漫画であれドラマであれアニメであれ、そこには夢があるものなのではないかとおもう。

せっかく夢を売るんだったらさ、みんなに売ろうぜ。仲間外れなんてつくらずにさ。

わたしの感覚で言うと、漫画やアニメにおいて主体性のない存在とは、まさしくその漫画・アニメから仲間外れにされた存在だ。別にいてもいなくてもいい。目を輝かせる主人公の少年は、ただ道を走ろうとする。そこに、主体性のない登場人物は無関係となる。Male Gazeをもって女の子が見つめられ続ける限り、女の子の主体性はきっとそこには生まれない。せっかく少年マガジンに掲載されて、アニメ化もされて。それは、漫画という媒体、そしてテレビアニメという媒体を通して、たくさんの観客がそこにいるという事実を指している。性別問わず、年齢問わず、いろんな人が見ているとわかっていて、どうしてわざわざ女の子の主体性だけ、切り取るようにして奪う必要があるのだろう?どうせなら、女の子にだって作品を心から楽しんでほしい。自分が主人公となって、物語の中を楽しんでほしい。少年アニメや漫画とは、「少年が主人公の」作品であることが多いというだけで、観客を少年だけに限定しているわけではない。

観客は、そこにいるすべてのひとたちのはずだ。

まとめ

今回は少年アニメ・少年漫画に焦点を合わせて、いろいろと考えたことをまとめてみた。少年アニメ、私は凄く好きだからこそ、いろいろと書きたいことが溢れてきたのかもしれない。ちなみに、少年アニメと対比する形で、少女アニメも考察する余地はたくさんあるのではないかと感じている。少女アニメはあまり詳しくないのだけれど、何か気になることがあったら、少女アニメも、記事にして考えたことを書いてみたいなとおもう。アニメや漫画が、もっと良い形で花開きますように。

追記:そういえば書き忘れていたような気がしていたけれども、Male Gazeの存在は、それがこどもむけのアニメーションであれ、漫画であれ、はたまたアダルトコンテンツであれ、常に批判され、内省されるべきだと私は考えている。なぜなら、Male Gazeはある特定の人物の自主性を、多くの場合奪ったままの状態であるからだ。そして、本来すべての人間の自主性は、その人のもとに備わっている必要があるとおもうからだ。だからこそ、Male Gazeに拮抗するような作品というのが必要で、それがFemale Gazeと呼ばれるものなのか、はたまた何か違うものなのかは、まだ私にも分からない。この辺りは自分でも、もう少し考えを深める必要があると感じている。

以上です!